創業40年のあゆみ
11/62

創業40周年を祝して7 東明興業株式会社が創業40周年を迎えられましたことを心よりお祝い申し上げます。福田会長と銀座の三笠会館で会ってから40年になりました。業界がこの様に発展することは、私には全く予測出来ませんでした。あの頃は多くの業者が業の許可もなく、又、不適正処理や不法投棄が多かった時期で、廃棄物も捨てるだけで・・・それが今では・・・。業界も何もしなくて成長した訳でなく、先人達の努力があればこそと思います。この事について私の思いの中でやはり福田会長を忘れることは出来ないと思います。 業界(組合)活動が活発になったのは福田会長が三代目の理事長になってからで、適正処理の推進に大変努力され、自治体、建設業界の信用・信頼を得る為に、組合員に対して強く指導された事を今でも思い出されます。理事長として多くの業績があった中で、私の印象に強いものの中よりいくつかあげてみたいと思います。 まず第一に、各業者の処理ルートの公開が挙げられます。これにより全組合員の処理ルートが明確になり、各作業所から積替保管施設へ、そしてそこから最終処分場への持ち込みが明確化された最初になったと思います。 第二には、自社管理システムの推進が挙げられます。これは当時マニフェスト伝票がなかった時に各建設会社がそれぞれに処理伝票を作成していた為、各業者は各建設会社の伝票を何冊も持っていなければならなかった事や、4枚型の伝票や6枚型の伝票等、伝票の内容も一律でなかった為に各業者が大変苦労した事と、当時は最終処分場への搬入確認印がなく、積替保管施設への搬入印で建設会社の多くが支払いとしていましたが、それを福田会長は現在の7枚型のマニフェスト伝票と同様の最終処分場への確認印で、請求・支払いとする自社管理システムの処理伝票を作成し、伝票の統一化と適正処理推進に大変大きな役割を果たしたと思います。 第三は、適正処理推進の基となる経営基盤の安定化の為の適正処理料金のお願いについて、機関紙等を通じ、組合員の大変な努力と建設会社各社の理解によって昭和60年に1台18,000円で標準化した事は、業界にとっても建設会社にとっても適正処理推進への大きな一歩となった事は間違いのない事だと思っています。その後の組合活動は皆様ご承知の通りと思います。 東明興業株式会社は福田会長のもと、平成元年に所沢で関東地区で最初の中間処理工場を建設し、捨てる時代からリサイクルする時代への転換を図る等、常に技術向上を目指すと共に、ISO認証取得についても積極的に取り組み、環境部門に続き品質・安全と合わせ取得する等、常に業界の先導的な役割を果たしています。 今後とも、益々業界の発展の為に努力される事を祈念してお祝いの言葉と致します。小野 功(元)戸田建設株式会社建築部 工務課長

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です