創業40年のあゆみ
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19実に最終処分されたか否か確認する為、排出事業者別の一次伝票と二次伝票の割印による管理システムを実施しました。現在のE票のヒモ付の原点の発想です。 この頃、組合内で共同で中間処理工場を造ろうと何度も試みますがまとまらず、結局独自で中間処理機械化に踏み切ります。中間処理施設設営成長期〈1989~2000年〉 積替え保管の劣悪な作業環境、環境への負荷を憂慮した創業者福田義明は1989年(平成元年9月)、埼玉県所沢市に建設系混合廃棄物並びに木くずの破砕施設と廃プラ・紙くずの圧縮等の中間処理施設を設営しました。設営予定地は都市計画法上の市街化調整区域に当たり、簡単には建物が建てられない地域でした。数年かけて都市計画審議会で位置指定を取り、建築基準法51条の許可を得て建屋の中に中間処理施設を作りました。当時の主流であった積替え保管の場合は、車両で廃棄物の収集運搬を行いその1台あたりで値段の設定がされ収集運搬をしている品目については混合廃棄物であることが大半でした。しかし、中間処理の場合は、今では当たり前になっていますが、品目を㎥単位で値段を設定し、混合廃棄物より品目単品に分別して積むことにより安くなるという当時では誰も発想できなかった値段設定をしました。排出事業者の皆様からは、中々理解・協力して頂くことに時間をかけていただいたという話を聞いています。平成4年に廃棄物処理展としてスタートし、平成12年に改称した、アジア最大級の【NEW環境展】にもブースを設けて、排出事業者への当社の取り組みのPR活動を行い、理解・協力への理解を深めて頂きました。 一般的に、建設系混合廃棄物の破砕施設といえば粉塵・騒音・振動・排水の環境問題、そしてその職場で働く従業員が雨風にさらされることなく、熱中症対策としても良好な作業環境の中で作業に従事できることを考え、可能な限り建屋内での中間処理施設設営が創業者の強い願いでした。 設営当時、東明興業所沢中間処理工場は、破砕・圧縮の中間処理工場の先駆けとして全国の行政関係者の視察が多数来社しました。その中で、総合中環境展出展建設中の所沢工場完成当時の所沢工場入口所沢工場(1989年)

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